写真現像 写真を趣味とする父は現像も家でしていた。出展用は大サイズの印画紙だが家族写真は小さかった。翌朝出来上がりを見るのが楽しみだった。
家族写真 父の趣味の一つに写真があり、家族が被写体になった。おかげで当時の写真は多く残っている。
皮むき 白樺の皮をガンビと言い、焚付の祭に重宝なので、近所の各家では周材の時期になると皮剥にでかけた。
野菜の越冬 小さな畑や庭のある家では、越冬用に盛土をして貯蔵していた。手間はかかるが春が楽しみだ。
物なし時代 戦後札幌三越の建物は進駐軍に接収され、市民公会堂で営業。物不足の時代、物々交換のコーナーもあった。
夏 窓を開けて寝るので蚊帳を吊って寝た。初めは物珍しさでハシャいで叱られる。蚊帳の出し入れも子供の仕事だった。
機銃掃射 敗戦間際の夏、小樽にも敵機の襲来があった。突然爆音とバリバリと発射音がした。防空壕に入るまもなくその場に伏せた。
弟の葬儀 昭和12年3歳の弟が病死した。親族の装束が男は編笠、裃と袴。女は頭から布をかぶる。白装束だった。焼き場には両親は参加できない。
祭りの楽しみ 並んだ見世物小屋の奥は大サーカスだ。大看板を見上げ楽隊に誘われる。綺麗で楽しくドキドキドキで夢中うになった。
乗馬 師団の兵隊が市内への公用に馬が使われていた。旭川駅近くの我が家の裏は馬の繋ぎ場として利用されていた。
ニシン運搬 ニシンを満載した舟が岸壁につくと忙しく働く人で一杯だ。運搬車では犬が大活躍していた。
帰り道風 呂桶を米に替えた後は、寒中でも街の銭湯に行った。手拭はカチカチ、吐く息は煙の様。
水汲み 小樽市手宮では昭和20年頃、共同水道を利用の家も多かった。水汲みは子供の仕事。
薬屋さん 富山から置き薬さんが毎年来ていた。子供は紙風船のお土産が楽しみだった。
障子張り 暮れ近くになると障子を張り替える。普段は破ると叱られる障子もこの時は威張って破られる。
ミシン すごいスピードで布を縫う仕組みに子供心に感心した。子供服はいつも母の手作りだった。
煙筒掃除 冬期間2・3度は掃除をするのだが、汚さず手早く済ますには年季が居る。掃除のプロもいた。
洗濯 洗濯機の無い時代、どの家でも盥桶に洗濯板があり手洗いしていた。
米つき 玄米は一升瓶で精米、そばやとうきびは石臼をっ使って製粉した。重いのと回しの速度の加減が難しい。
買出し 戦後食糧難の時期、芋や南瓜でも手に入れるのに大層苦労し、またその運搬も辛かった。
風呂 家族にとって風呂は安らぎの元だった。やがて風呂桶は農家に引き取られた。
防空壕 家の前の道路脇に穴を掘り防空壕を作った。振動で崩れそうなものだったが気休めになった。
運搬 食糧自給のため畑を借りたが、駅から遠くその上渡船が必要だった。産物の輸送も大事だった。
花嫁 外地からの帰国者が増え、結婚ブーム。農村の嫁入りでは荷馬車や列車での移動もあり、モンペ姿も見られた.
私が子供だった頃 Since 2010-02-21
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